戦国時代、真田一族(真田幸隆、真田昌幸、真田幸村 等)に関する日々感じたことを綴っていきたいと思います。
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先週のことになりますがついに大河ドラマ天地人に真田幸村が登場しましたね。
初音が上杉景勝のところに盟約のお願いに上がる所からシーンが始まりました。 盟約の証として幸村が上杉家に人質として行くことになるのですが、 その幸村の天地人初登場シーンは織田信長と見間違えるようないでたちでした・・・。 茶筅髷、果物にかぶりつきながら歩く姿・・・。 いままでの真田幸村像とはかなり違った新しい真田幸村像を見ることが出来ました。 上杉家に人質として行った後も、上杉家家臣(特に泉沢や与七)に対する横柄な態度は?? と思うものがありました。 確かに智略の限りを尽くして戦国を生き抜いてきた父・真田昌幸を見て育った幸村にとっては 「義」を掲げる上杉家に対して違和感を感じていたのかもしれませんね。 史実では幸村はどのような性格だったのでしょうか? 幸村の兄・信幸によると、 「左衛門佐は、ものごと柔和忍辱、物静かで、言葉少なく、怒り腹立つことがなかった。」との事。 幸村の性格については↓をご覧ください。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~sanada/sanada/sanada/zou.html 基本的には真田幸村はとても物静かな人であったことが伺えます。 横柄な幸村の描き方以外に ん?ここはと思った点がありました。 それは、「神川合戦への幸村参戦」です。 お家の大事故、国許に戻り父、兄と共に戦え・・・と上杉に言われ 上田城に戻ったして描かれることが多いですが、 真田幸村の初陣は、豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家らと共に北条と戦った 松井田城攻めだといわれています。 神川合戦と松井田城攻めでは当然後者のほうが時代は下っていますから 神川合戦に真田幸村が参戦していた可能性はないといわれております。 史実ではなかったといわれる幸村の神川合戦への参戦ですが、 ドラマとしてはやはりここで幸村が昌幸らと共に戦った方が真田としても上杉としてもドラマチックですからね! 真田幸村の初陣については↓をご覧ください。 http://www2u.biglobe.ne.jp/~sanada/sanada/sanada/uijin.html PR |
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